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5分以内で読める宮本百合子の短編作品(7ページ目)

青空文庫で公開されている宮本百合子の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編454作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(〜2,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
301〜350件 / 全454件
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枯草のひしめき合うこの高原に次第次第に落ちかかる大火輪のとどろきはまことにおかすべからざるみ力と威厳をもって居る。
先日は脚本をわざわざまことに有難うございました。
白菜と豚の三枚肉のお鍋そろそろ夜がうすら寒くなってくると家でよくするお惣菜の一つです。
マルクス=エンゲルス全集というと、赤茶色クロース表紙の書籍が、私たちの目にある。
私の不幸というものについて書くように云われると、何となし当惑したような咄嗟(とっさ)の心持になるのは、私ひとりのことだろうか。
「電燈料がまたあがるかね」ほんとにしようがないわねえ。
斜向いの座席に、一人がっしりした骨組みの五十ばかりの農夫が居睡りをしていたが、宇都宮で目を醒した。
帝劇で復活を観た。
町の本屋の店さきを見ると、ハデな表紙の婦人雑誌が山ほどつまれています。
戦争中私たちは随分ひどい生活をしました。
私が、ゴーリキイの評伝を一冊にまとめて見たいと思った動機は二つあった。
このごろの強盗殺人の特色は、件数が多いばかりでなく、事件の性質が戦争以前とまったくちがっていると思う。
これまで、私たち日本の女性は、何と散り散り、ばらばらな暮しかたをして来たことでしょう。
音楽に対しては全く素人であって、しかも音楽についてはある興味をもっているものの一人として、私は日本の将来の音楽的発達について少なからず希望を抱いております。
去年の八月からきょうまで、十四ヵ月ほどの間、日本じゅう幾百万の国民学校の上級児童は、日本の歴史教科書というものを失っていた。
尾崎秀実氏が獄中から書かれた書簡集がまとめられることになった。
トルストイの「復活」という小説がある。
人間の社会には、その事実なり、その言葉なりをねじまげたり、もてあそんだりすると、結果として不幸がもたらされる以外に、どんないいこともない事柄がある。
十何年か前、友達が或る婦人団体の機関誌の編輯をしていたことがあった。
生活的な真実というもののあらわれは、非常に多種多様だと思う。
朝鮮に戦争がおこってから、世界じゅうの平和運動は目立って活溌になり、真剣さを加えた。
シベリヤ生活の間でみたこと、聞いたこと、感じたことは、本当にさぞどっさりなことでしょう。
涙ぐみてうるむ瞳を足元になぐれば小石うち笑みてありかんしやくを起しゝあとの淋しさに澄む大空をツク/″\と見るものたらぬ頬を舌にてふくらませ瓦ころがる抜け歯の音きくうすらさむき秋の暮方なげやりに氷をかめば悲の湧く角砂糖のくずるゝ音をそときけば若き心はうす笑する首人形遠き京なるおもちや屋の店より我にとつぎ出しかなはにかみてうす笑する我よめは孔雀の羽かげ髷のみを出す...
『文芸春秋』四月号にのった文芸時評に対するあなたの御感想を拝見しました。
河上氏の私に対する反ばくは一種独特な説諭調でなかなか高びしゃである、が、論点が混乱していて、多くの点が主観的すぎる。
第一私どもの目からみると議会内の大蔵委員会という重要な新給与予算の委員会席上で、あんなに酔うほど酒がでるということがそもそもひどいことだと思います。
映画女優のあたまのよさが、一つの快適な美しさ、あるいは深い心と肉体の動きの感銘として作品のなかに十分活かされている場合をみると、大抵のとき、それは製作の方向、監督のみちびきかたと密接な関係をもっているように思える。
わたしがソヴェト同盟に暮したのは、もう二十年も前のことになる。
なぜ女性の中から良い芸術家が生れないか、或いはそれが生れたにしてもなぜ完成の域にまで成長しないのか、その質疑に対して私は第一に女性教育の欠陥を挙げたいと思います。
四月十日を目の前にひかえて、私たち日本の婦人は、生れて初めて行う選挙というものに対して、平然としていられない気持になっている。
予選をとおった十八篇の原稿が回されてきた。
降りたくても降れないと云う様な空模様で、蒸す事甚い。
「めんどくさい、死ぬんだ」胸をしっかりおさえて居た手を椅子のひじかけの上になげ出して男は叫んだ。
こういう質問が出ることはわたしたちに深く考えさせるものがあります。
きょう(二月二十八日)の時事新報をみたら、先頃渡米した十人の婦人団がニューヨークについて、女子キリスト青年会(Y・W・C・A)を訪問した写真がのっている。
○支那事変がはじまって五年、大東亜戦争がはじまって満一ヵ年と十ヵ月経って秋も深くなった。
此頃、自然美の讚美され出して来た事は、自然美崇拝の私にとってまことに嬉しく感じる事である。
私とじいやとは買物に家を出た。
故国に居る父や母が、きっと此那物を送ったら喜ぶだろうと思ってわざわざ送って下さった種々の物、仮令其は如何那小さい物であろうと、私は恐らく両親の期待された以上の喜びを以て其を戴く。
昨年のことであったか、それとも一昨年になるか、わたしはある婦人雑誌で思いがけない柳原※子さんの文章をよんだ。
夜中の一時過、カラカラ、コロコロ吊橋を渡って行く吾妻下駄の音がした。
○十日程前、自分は田舎の祖母の家に居た。
小林多喜二は、一九三三年二月二十日、築地警察で拷問された結果、内出血のために死んだ。
一九四五年の八月十五日からのち、日本の民主化がいわれるようになってから、いくつかの民主化のための委員会がつくられた。
これまで私たちは云いたいことを云えなかったし、聞きたい話もきかれなかった。
ソ同盟に対する引揚促進運動は、さきごろ、はっきりした反ソ運動の一つのかたちとして悪用されていた。
新年というものについて抱く私たちの心持も、その年々によって様々ですし、一人のひとの生活の其々の時代によっても又おのずから、異った感想をもつものだということを、近頃感じて居ります。
文学新聞には現在二百六七十人ばかりの通信員がいます。
弟の家内が今年の正月で三十三を迎えた。
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