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30分以内で読める寺田寅彦の短編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている寺田寅彦の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編134作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(4,001〜12,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
51〜100件 / 全134件
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旧臘押し詰まっての白木屋の火事は日本の火災史にちょっと類例のない新記録を残した。
教育資料としての映画の価値の多大なことは誰でも認めてはいるようであるが、しかしこの問題については、少なくも我邦では、まだあまり十分に研究されていないか、ともかくも一般的興味の対象とはなっていないようである。
何事でも「世界第一」という名前の好きなアメリカに、レコード熱の盛んなのは当然のことであるが、一九二九年はこのレコード熱がもっとも猖獗(しょうけつ)をきわめた年であって、その熱病が欧州にまでも蔓延した。
風呂の寒暖計今からもう二十余年も昔の話であるが、ドイツに留学していたとき、あちらの婦人の日常生活に関係した理化学的知識が一般に日本の婦人よりも進んでいるということに気のついた事がしばしばあった。
子供の時分の冬の夜の記憶の中に浮上がって来る数々の物象の中に「行燈」がある。
今年の春の花の頃に一日用があって上野の山内へ出かけて行った。
一日じめじめと、人の心を腐らせた霧雨もやんだようで、静かな宵闇の重く湿った空に、どこかの汽笛が長い波線を引く。
祖母は文化十二年(一八一五)生まれで明治二十二年(一八八九)自分が十二歳の歳末に病没した。
あるきわめて蒸し暑い日の夕方であった。
理化学の進歩が国運の発展に緊要であるという事は永い間一部の識者によって唱えられていたが、時機の熟せなかったため一向に世間には顧みられなかった。
明治十四年の夏、当時名古屋鎮台につとめていた父に連れられて知多郡の海岸の大野とかいうところへ「塩湯治」に行った。
自分の出生地は高知県で、始め中学の入学試験に応じたのは十四の年、ちょうど高等三年生の時であった。
このごろ時々写真機をさげて新東京風景断片の採集に出かける。
銀座を歩いていたら、派手な洋装をした若い女が二人、ハイヒールの足並を揃えて遊弋していた。
電車の中で試みに同乗の人々の顔を注意して見渡してみると、あまり感じの好い愉快な顔はめったに見当らない。
九月五日動物園の大蛇を見に行くとて京橋の寓居を出て通り合わせの鉄道馬車に乗り上野へ着いたのが二時頃。
科学上における権威の効能はほとんど論ずる必要はないほど明白なものである。
上野の近くに人を尋ねたついでに、帝国美術院の展覧会を見に行った。
宅のラジオ受信機は去年の七月からかれこれ半年ほどの間絶対沈黙の状態に陥ったままで、茶の間の茶箪笥の上に乗っかったきりになっていた。
物には必ず物理がある。
稲妻晴れた夜、地平線上の空が光るのをいう。
去年の夏信州沓掛駅に近い湯川の上流に沿うた谷あいの星野温泉に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出かけて行った。
朝食の食卓で偶然箱根行の話が持上がって、大急ぎで支度をして東京駅にかけつけ、九時五十五分の網代行に間に合った。
涼しさと暑さこの夏は毎日のように実験室で油の蒸餾の番人をして暮らした。
毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。
同一の事象に対する科学的の見方と芸術的の見方との分れる点はどこにあるだろう。
震災後復興の第一歩として行なわれた浅草凌雲閣の爆破を見物に行った。
毎朝起きて顔を洗いに湯殿の洗面所へ行く、そうしてこの平凡な日々行事の第一箇条を遂行している間に私はいろいろの物理学の問題に逢着する。
制服の処女評判の映画「制服の処女」を一見した。
昭和七年四月九日工学博士末広恭二君の死によって我国の学界は容易に補給し難い大きな損失を受けた。
暦の上の季節はいつでも天文学者の計画したとおりに進行して行く。
バイオリンやセロをひいてよい音を出すのはなかなかむつかしいものである。
なくなってまもない人の追憶を書くのはいろいろの意味で困難なものである。
十二月八日の晩にかなり強い地震があった。
現代の多くの人間に都会と田舎とどちらが好きかという問いを出すのは、蛙(かえる)に水と陸とどっちがいいかと聞くようなものかもしれない。
さわやかな若葉時も過ぎて、日増しに黒んで行く青葉のこずえにうっとうしい微温の雨が降るような時候になると、十余年ほど前に東京のSホテルで客死したスカンジナビアの物理学者B教授のことを毎年一度ぐらいはきっと思い出す。
デパートの夏の午後街路のアスファルトの表面の温度が華氏の百度を越すような日の午後に大百貨店の中を歩いていると、私はドビュシーの「フォーヌの午後」を思いだす。
十五年ほど前の夏休みに松原湖へ遊びに行った帰りの汽車を軽井沢でおり、ひと汽車だけの時間を利用してこの付近を歩いたことがあった。
物理学の学徒としての自分は、日常普通に身辺に起こる自然現象に不思議を感ずる事は多いが、古来のいわゆる「怪異」なるものの存在を信ずることはできない。
発病する四五日前、三越へ行ったついでに、ベコニアの小さい鉢を一つ買って来た。
帝展帝展の洋画部を見ているうちに、これだけの絵に使われている絵具の全体の重量は大変なものであろうと考えた。
四十年ほど昔の話である。
映画のスクリーンの平面の上に写し出される光と影の世界は現実のわれらの世界とは非常にかけはなれた特異なものであって両者の間の肖似はむしろきわめてわずかなものである。
少し肺炎の徴候が見えるようだからよく御注意なさい、いずれ今夜もう一遍見に来ますからと云い置いて医者は帰ってしまった。
俳句季題の分類は普通に時候、天文、地理、人事、動物、植物といふ風になつて居る。
物理学は元来自然界における物理的現象を取り扱う学問であるが、そうかと言って、あらゆる物理的現象がいつでも物理学者の研究の対象となるとは限らない。
ある忙しい男の話である。
花火一月二十六日の祝日の午後三時頃に、私はただあてもなく日本橋から京橋の方へあの新開のバラック通りを歩いていた。
明治十四年自分が四歳の冬、父が名古屋鎮台から熊本鎮台へ転任したときに、母と祖母と次姉と自分と四人で郷里へ帰って小津の家に落ちつき、父だけが単身で熊本へ赴任して行った。
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