ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 宮本百合子 短編(10分以内)

10分以内で読める宮本百合子の短編作品(5ページ目)

青空文庫で公開されている宮本百合子の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編271作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(2,001〜4,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
201〜250件 / 全271件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
文芸のような無限の仕事をするものにとって、十年という月日は決して長いものではありません、考えように依ってはほんの僅かな一瞬間に過ぎないのに。
夜、銀座などを歩いていると、賑やかに明るい店の直ぐ傍から、いきなり真闇なこわい横丁が見えることがあるでしょう。
日本の知識人の読書表には、実に翻訳がどっさり入りこんでいると思う。
今日、東京朝日新聞を見たら、フトこういう記事に目がとまりました。
芝居について大変よく知っている作家があり、そういう人々は舞台をよくみているし、俳優の一人一人についてもゆきとどいて理解している。
三月六日の日曜日に『働く婦人』発刊記念の夕べを催したことは、読者のみなさんが三月号の『働く婦人』にのった広告によっても承知していられることです。
三年前の五月、学生祭の日、この講堂は、甦った青春のエネルギーにみちあふれた数千の男女学生によって埋められました。
七月八日、朝刊によって、有島武郎氏が婦人公論の波多野秋子夫人と情死されたことを知った。
窪川稲子に私がはじめて会ったのは、多分私がもとの日本プロレタリア作家同盟にはいった一九三〇年の押しつまってからのことであったと思う。
共学期待はずれた今度の内閣改造の中で僅かに生彩を保つのは安倍能成氏の文部大臣であるといわれる。
日本の政府がポツダム宣言を受諾して、平和と民主の新しい人民の社会を日本に建設することを世界に向って約束してから今日まで、まる二年とすこしたちました。
ある夜細長い土間のところへ入って右手を見ると、そこがもう座敷で、うしろの壁いっぱいに箪笥がはめこんである。
大体私は芝居の方へは御無沙汰がちで、素人としても大素人の方ですが、先だって久しぶりに「群盗」と「昆虫記」を観て、非常にいろいろ感銘を受けました。
今朝、茶の間へおりて行ったら、いつものように餉台の上に新聞だの手紙だのがかさねておいてあって、朝の日かげがすがすがしい。
新聞に、憲法改正草案が発表されたとき、一番奇妙に感じたことは、「主権在民」と特別カッコの別見出しがつけられていたのに、天皇という項があって、その唯一人の者が九つの大権を与えられていることであった。
こまかいかげろうは砂の間からぬけ出したようにもえて居て海の色は黒いまでに蒼い、水と空と空の色、そのさかえからポッカリういたような連山の姿、いかにも春らしい、たるんだような、なつかしいような景色である。
格子縞の毛布宮本百合子縮毛(ちぢれげ)のいほ[#「いほ」に傍点]は、女中をやめた。
今私たちの前には、その事件が当事者の愛の純情に発しているという意味で人の心を打った二つの現象が示されている訳ですが、私は松本伝平氏の場合と弓子さんの場合とは、それぞれ別のもので、違った分析がされなければならないものではなかろうかと考えます。
随分昔のことであるけれども、房州の白浜へ行って海女のひとたちが海へ潜って働くのや天草とりに働く姿を見たことがあった。
この数年の間、私たちは全く外国文学から遮断されて暮して来た。
ぼんやり薄曇っていた庭の風景が、雲の工合で俄に立体的になった。
○或る芝生に、美くしく彩色をした太鼓が一つ転っていた。
第二次世界大戦では、世界のあらゆる国々が大きい犠牲を払った。
これまで、郵便切手というものは、私たちのつましい生活と深いつながりのある親しみぶかいものであった。
ここには、一九三二年の一月の創刊で、日本プロレタリア文化連盟から出版されていた『働く婦人』に書いた短いものからはじまって、一九四一年(太平洋戦争のはじまった年)の一月執筆禁止をうけるまで婦人のために書いた感想、評論、伝記、書評など四十篇が集められている。
これは、長さ一寸余、たけ一寸ばかりの小さい素人写真です。
この集には、一九三七年、三九年、四〇年の間にかいた十篇の小説と亡くなった父母について記念のための随筆二篇が収められている。
裏のくぬぎ林のあっちをゴーゴーと二番の上りが通った。
一、リュシアンソレルとは全くちがったリュシアン・ルーヴェン。
一年目で、また総選挙がはじまります。
日本の言葉に、大人気ない、という表現がある。
皆様の現場録音を拝見して、きょうの真面目な若い女性の心持に同感いたしました。
こんにちは、五月一日、メーデーです。
大雷雨大雷雨の空が夕焼のように赤らんでいるのを大変不思議に思いながら寝て、けさ新聞を見たら、落雷で丸之内の官衙が九つ灰燼に帰した出来ごとを知った。
母中條葭江は、明治八年頃東京築地で生れ、五十九歳で没しました。
先達て「リビヤ白騎隊」というイタリー映画の試写を観る機会を得た。
午後から日がさし、積った白雪と、常磐木、鮮やかな南天の紅い実が美くしく見える。
蠅宮本百合子梅雨にはひろいものの晴れ上った天気である。
この春新響の演奏したチャイコフスキーの「悲愴交響楽」は、今も心のなかに或る感銘をのこしている。
私は先日来、福島県下にある祖父の旧宅に来ている。
講演作家で講演好きというたちの人は、どっちかといえば少なかろう。
『中央公論』の十月号に、荒木巍氏の「新しき塩」という小説がある。
三月二十七日―四月十三日自分台処で。
「吾輩は猫である」が明治三十八年に書かれてから、「明暗」が未完成のままのこされた大正五年まで、十二年ほどの間に漱石の文学的活動は横溢した。
はるかな森の梢に波立って居るうす紅い夕栄の雲の峯を見入りながら、私は花園の入口の柱によりかかって居る。
硝子戸もない廊下では、朝夕の風がひどく身にしみるようになった。
わたしのところに十三篇の原稿がまわされてきた。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。