ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 岡本綺堂 全作品

岡本綺堂の全作品(5ページ目)

青空文庫で公開されている岡本綺堂の全作品230篇を、おすすめ人気順で表示しています。

201〜230件 / 全230件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
ある時、半七老人をたずねると、老人は私に訊いた。
私はかつて「虚無僧」という二幕の戯曲をかいて、歌舞伎座で上演されたことがある。
団子坂の菊人形の話につづいて、半七老人は更に「蟹のお角」について語り出した。
秋の夜の長い頃であった。
大森の鶏の話が終っても、半七老人の話はやまない。
前回には極月十三日の訪問記をかいたが、十二月十四日についても、一つの思い出がある。
「いつも云うことですが、わたくし共の方には陽気なお話や面白いお話は少ない」と、半七老人は笑った。
読者もすでに御承知の通り、半七老人の話はとかくに芝居がかりである。
種痘の話が出たときに、半七老人はこんなことをいった。
S未亡人は語る。
今もむかしも川崎の大師は二十一日が縁日で、殊に正五九の三月は参詣人が多い。
四月の日曜と祭日、二日つづきの休暇を利用して、わたしは友達と二人連れで川越の喜多院の桜を見物して来た。
極月の十三日――極月などという言葉はこのごろ流行らないが、この話は極月十三日と大時代に云った方が何だか釣り合いがいいようである。
明治二十六年の十一月なかばの宵である。
こんにちでも全く跡を絶ったというのではないが、東京市中に飴売りのすがたを見ることが少なくなった。
ある年の夏、わたしが房州の旅から帰って、形ばかりの土産物をたずさえて半七老人を訪問すると、若いときから避暑旅行などをしたことの無いという老人は、喜んで海水浴場の話などを聴いた。
四月なかばの土曜日の宵である。
これも明治三十年の秋と記憶している。
高坐の牡丹燈籠明治時代の落語家と一と口に云っても、その真打株の中で、いわゆる落とし話を得意とする人と、人情話を得意とする人との二種がある。
明治三十年三月十五日の暁方に、吉原仲の町の引手茶屋桐半の裏手から出火して、廓内百六十戸ほどを焼いたことがある。
実業家深見家の夫人多代子が一月下旬のある夜に、熱海の海岸から投身自殺を遂げたという新聞記事が世間を騒がした。
登場人物初演配役和泉屋与兵衛(団右衛門)女房おさき(菊三郎)倅角太郎娘おてる(福之丞)仲働きお冬(栄三郎)番頭伝兵衛同じく弥助同じく和吉(男女蔵)大和屋十右衛門(彦三郎)三河町の半七(菊五郎)その妹おくめ(竹三郎)常磐津文字清(鬼丸)半七の子分亀吉(伊三郎)同じく幸次郎(鯉三郎)ほかに女中。
なにかの話から、神田の柳原の噂が出たときに、老人はこう語った。
登場人物駕籠かき權三權三の女房おかん駕籠かき助十助十の弟助八家主六郎兵衞小間物屋彦兵衞彦兵衞のせがれ彦三郎左官屋勘太郎猿まはし與助願人坊主雲哲おなじく願哲石子伴作ほかに長屋の男女娘子供捕方駕籠舁(かき)など第一幕享保時代。
お米と十吉とは南向きの縁に仲よく肩をならべて、なんにも言わずに碧(あお)い空をうっとりと見あげていた。
「ことしの残暑は随分ひどいね」お絹は楽屋へはいって水色の※※(かみしも)をぬいだ。
次郎左衛門が野州佐野の宿を出る朝は一面に白い霜が降りていた。
文化九年――申年の正月十八日の夜である。
桐畑の太夫今から二十年あまりの昔である。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。