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牧野信一の全作品(5ページ目)

青空文庫で公開されている牧野信一の全作品337篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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*心象の飛躍を索め、生活の変貌を翹望する――斯ういふ意味のことは口にしたり記述されたりする場合に接すると多く無稽感を誘はれるものだが、真実に人の胸底に巣喰ふ左様な憧憬や苦悶は最も原始的に多彩な強烈さを持つて蟠居する渦巻であらう。
………………火をいれた誘蛾灯が机の上に置いてあります。
麓の村から五哩あまり、馬の背で踏み入る森林地帯の山奥――苔むした岩々の間を、隠花植物の影を浮べて、さんさんと流れる谿川のほとりに営まれた伐木工場の丸木小屋の事務所に、その頃私はアメリカ生れのフロラと共に働いてゐました。
若しも貴方が妾に裏切るやうな事があれば、妾は屹度貴方を殺さずには置きませんよ、と常に云つてゐた女が、いざとなつたら他愛もなく此方を棄てゝ行つた。
「おや/\、もうランプを点ける頃なの、何とまあ日が短いことだらうね。
適量の日本酒を静かに吟味しながら愛用してゐれば、凡そ健康上の効用に此れ以上のものは無いといふことは古来から夙に云はれて居り、わたしなども身をもつてそれを明言出来る者であつたが、誰しも多くの飲酒者は稍ともすれば感情のほとばしるに任せては後悔の種を育てがちになるのも実にも通例の仕儀ながら、わたしも亦その伝で銀座通りなどをおし歩きながらウヰスキーをあをりつゞけたお蔭で、例に依つて例の如く、終ひに閑寂なる療養生活に没頭しなければならなくなつた。
その村は、東京から三時間もかゝらぬ遠さであり、私が長い間住なれたところであつたが私は最早まる一年も帰らなかつた。
フロラが飼つてゐる鸚鵡は、好く人に慣れてゐて籠から出してやると、あちこちの部屋をヨタヨタと散歩したり、階段を滑稽な脚どりで昇り降りしたりするが、「お早う」も、「今日は――」も知らなかつた。
私たちは、その村で一軒の農家を借りうけ、そして裏山の櫟林の中腹にテントを張り、どちらが母屋であるか差別のつかぬ如き出放題な原始生活を送つてゐた。
さあ、これから宿へ帰つて「東京見物記」といふ記事を書くのだ――おいおい、タキシイを呼び止めて呉れ、何方側だ?何方側だ?俺には見当がつかぬ――などゝ僕は同伴の妻に云ひ寄るのであつたが、妻君は、前の晩に友達と別れてから、夫と手を携へて怖る/\訪れた赤坂辺のダンスホールを訪れたところが、そこで、案外にも平気で踊ることが出来たので、自信を得てしまつて、やつぱり村の野天やアバラ屋で古風な蓄音機に合せて村の友達連と踊るよりは此方の方が遥かに好もしい。
「塚越の奴は、――教室でラヴ・レターを書いてゐたさうだ――。
友を訪ねて僕は一ト頃外国製のエハガキを集めたことがある、その頃は、集めた数々のものを酷く大切にして、夫々のアルバムを「科学篇」とか「歴史篇」とか「物語篇」とか「考古篇」とか「美術篇」とか「地理篇」とかといふ風に分類して悦に入つた。
「登志さん、果物でも持つて行つたらどうなの、雑誌ばかり読んでゐないで……」ナイフや皿の用意をととのへながら、母は登志子を促した。
追跡の話Dと村長がR子のことで月夜の晩に川べりの茶屋で格闘を演じた。
春来頻リニ到ル宋家の東袖ヲ垂レ懐ヲ開キテ好風ヲ待ツ艪を漕ぐのには川底が浅すぎる、棹をさすのには流れが速すぎる――そのやうな川を渡るために、岸から岸へ綱を引き、乗手は綱を手繰つて舟をすすめる、これを繰舟の渡しと称ふ。
KATA-KOMASドリアン――彼女は私達の愛馬の名前である。
おゝ皆さん、今宵、この真夏の夜の夢の、いとも花やかなる私達の円卓子にお集りになつた学識に富み夢に恵まれ、且つまたゲルマン系の「冒険の歌」より他に歌らしい歌も弁へぬ南方の蛮人(私)を指命して一場の演説を所望なさるゝといふ最も趣味拡き紳士よ、淑女よ、私は立ち上りました、私はマルテン・ルーテルの祈りを口吟みながら立ち上りました――。
読むのがのろいからと心配して――これで僕は四ヶ月もつゞけて(三ヶ月間は、「早稲田文学」のために――)早く出るものからぼつ/\と読みはじめ、さて、いよ/\書かうといふ段になると、十日も前に読んだものゝ記憶は大ぶんあやしくなり、また繰ひろげて、あれこれと戸惑ひ、結局時間に追はれて半分も読み損つてしまふ有様は、まるでアダムスン漫画のやうであつた。
いま時分に、まだ花のあるところなんてあるのかしら?――はじめて来た方角には違ひないのだが、案外だ!この様子を見ると何処か途中にでも花見の場所があるのらしいが、どうも妙だ!何処の花だつて、もうとうに散つてゐる筈だが――花見と云つても、あの時のは芝居見物のことだつたが、あれに誘はれたのはやがてもう一ト月も前になるぢやないか!あの頃が、それでも田舎よりはいくらか遅い東京のお花見季だつた筈だ……と思ふんだが、さうでもなかつたのかな!あの時もあの連中と一緒に出かけて...
静かな、初秋の夜である。
堤の白明野菜を積んだ馬車を駆つて、朝毎に遠い町の市場へ通ふのが若者の仕事だつた。
「シン!シン!」夢の中で彼は、さう自分の名前を呼ばれてゐるのに気づいたが、と同時にギュツと頬ツぺたをつねりあげられたので、思はずぎよツとして眼を見開いた。
歌合せ外に出るのは誰も具合が悪かつた。
わたしはこの四五年来、少くとも一年のうちに二回以上は、全く天涯の孤独者であるかのやうな、そして深い寧ろ憂ひに閉ぢこめられたやうな姿で独り、登山袋に杖を突いて、遠方の景色にばかり見惚れてゐるかのやうな眼を挙げながら、すたすたとその山峡の村へ赴くのが慣ひである。
枳殻の生垣に、烏瓜の赤い実が鮮やかであつた。
寒い晩だつた。
「まア随分暫らくでしたね。
試みに、余の三歳になる一子をとらへて、――葛西をぢちやんに如何されたか?と訊ねて見給へ!彼は、忽ち武張つた表情をして、次のやうな動作をするであらう。
S・S・F倶楽部員の座談会。
氷嚢の下旅まくら熱になやみて風を聴くとり落した手鏡の破片にうつるいくつものわが顔湖はひかりてふるさとは遠い*夜をこめて吹き荒んだ風が、次の日もまたその次の日も絶え間もなく鳴りつづけてゐるといふ――そのやうな風に私はこの町ではぢめて出遇つた。
転地してゐる義妹へ何や彼やと毎日のことばかりに追はれて、ついついお手紙さへも書きおくれて居りましたこと、どうぞおゆるし下さい。
先月は殆んど一ト月、新緑の中の海辺や山の温泉につかつて文字といふ文字は何ひとつ目にもせず蝶々などを追ひかけて暮し、その間に何か際立つた作品が現れてゐたかも知れないが、それまでは今年になつてからといふものわたしは、その読後感を誌す目的で毎月つゞけて月々の多くの雑誌を読んで来た。
川瀬美奈子――。
「君は一度も恋の悦びを経験した事がないのだね。
おそらくあの娘は、私より二つか三つぐらゐの年上だつたに違ひないのだが私には相当のおとなに見えた。
或る理学士のノートから――この望遠鏡製作所に勤めて、もう半年あまり経ち、飽性である僕の性質を知つてゐる友人連は、あいつにしては珍らしい、あの朝寝坊がきちん/\と朝は七時に起き、夕方までの勤めを怠りなくはたして益々愉快さうである、加けに勤めを口実にして俺達飲仲間からはすつかり遠ざかつて、まるで孤独の生活を繰返してゐるが、好くもあんなに辛抱が出来たものだ――などゝ不思議がり、若しかすると、あいつ秘かに恋人でも出来て結婚の準備でもしてゐるのかも知れない――そんな噂も...
一ヶ月あまりは、またそれで旅に暮しても十分とおもつてゐたのに、私は迂闊にも自分が再び相当の飲酒者に立ち戻つてゐたのを忘れてゐた為に、二三ヶ所をわたり歩いて未だ二週間も経たぬ間に、もう国元へ電報を打たなければならぬ状態だつた。
鶴子からの手紙だつたので彼は、勇んでY村行の軽便鉄道に乗つた。
綽名だけは一人前――悪党きどりの不良少年――母島村長の懇望から三十人をけふ島送り――。
羽根蒲団の上に寝ころんでゐるやうだ――などゝ私は思つた位でした。
窓に限られた小さな空が紺碧に澄み渡つて、――何かかう今日の一日は愉快に暮せさうな、といふやうな爽々しい気持が、室の真中に上向けに寝転むだ儘、うつとりとその空を眺めあげた私の胸にふはふはと感ぜられました。
――「泳ぎ位ゐ三日も練習したら出来さうなものだがな!」私は、此間うちから、かくれて読んでゐた水泳術の本を、鍵のかゝつた本箱の抽斗しから取り出して来て開いた。
(満里子の手帳から――)冬のお休みになつたら今年もまた兄さん達といつしよに赤倉のスキーへ行くことを、あんなに楽しみにしてゐたのに、いざとなつたら母さんが何うしてもあたしだけを許して下さらないのだ。
「ね、お祖母さん――」半分あまつたれるやうな口調で彼は、もぐ/\云はせながら祖母の炬燵の中へ割込むで行つた。
郊外に間借りをしてゐた森野が或る夕方ステツキをグル/\回しながら散歩してゐると、停車場のちかくで、ひとりの美しい婦人に呼びかけられた。
その頃ナンシーは、土曜から日曜にかけて毎週きまつて私を横浜から訪れて、私に従つて日本語を習ふのだと称してゐた。
私は岡村純七郎の長男で純太郎といふ名前である。
芝区で、二本榎の谷間に部屋を借りてゐた。
三月もかゝると云はれてゐる病院へ滝は、毎日、日暮時に通つてゐた。
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