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折口信夫の全作品(3ページ目)

青空文庫で公開されている折口信夫の全作品202篇を、おすすめ人気順で表示しています。

101〜150件 / 全202件
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長い旅から戻つて顧ると、随分、色んな人に逢うた。
貴人の御出生といふ事について述べる前に、貴人の誕生、即「みあれ」といふ語の持つ意味から、先づ考へ直して見たいと思ふ。
地唄とは、ろおかるの唄と言ふこと。
のぼりといふもの中頃文事にふつゝかであつた武家は、黙つて色々な為事をして置いた。
正月に門松を立てる訣(わけ)を記憶してゐる人が、今日でもまだあるでせうか。
今の梅玉が、福助から改名した披露の狂言は、その当時、親をがみに正月郷家に帰つてゐて、見ることが出来た。
動詞形容詞一元論のたちばは、おもに、形式のうへにあるのだが、中には、意味のうへにまでも立入つて、其説を主張する人がある。
歌舞伎に関係のある話は、御祭りの芝の舞台の話でしまっておき、この章では話を変えて、人形の話を簡単にしておきたいと思う。
我々の生活してゐる明治・大正・昭和の前、江戸時代、その前室町時代、その前鎌倉時代――その鎌倉から江戸迄の武家の時代と言ふものが、どの時代でも同じやうに思はれますが、違つてゐます。
芸能といふことばの発生お互ひにおめでたうございます。
盆の祭り(仮りに祭りと言うて置く)は、世間では、死んだ聖霊を迎へて祭るものであると言うて居るが、古代に於て、死霊・生魂に区別がない日本では、盆の祭りは、謂はゞ魂を切り替へる時期であつた。
には鳥はかけろと鳴きぬなり。
唱導といふのは、元、寺家の用語である。
山を訪れる人々明ければ、去年の正月である。
このごろ、短歌の上で虚構の問題が大分取り扱はれて來た。
自分は、かね/″\従来の文章の解釈法、殊に和歌に就いて、先達諸家のやりくちに甚だ慊らぬふしが多い様に思うて居る。
私くらゐの若い身で、こんな事を申すのは、大層口はゞつたい様で、気恥しくもなるのですが、記者の方の設問が、私の考へ癖に這入つて来ましたので、遠慮ないところを申しあげます。
二つの問題日本の民俗芸術を観察するにあたつて、我々は二つの大きな問題に、注意を向けなければならぬ。
堀君唐松の遅き芽ぶきの上を夏時雨はるかに過ぎて――黄にけぶる山の入り日堀君二冬いまだ寝雪いたらずしづかに澄む水音。
憎しみは人間の根本的な感情とされているが、時代の推移とともに変わってきている。
現在の事物の用途が、昔から全く変らなかつた、と考へるのは、大きな間違ひである。
折口といふ名字は、摂津国西成郡木津村の百姓の家の通り名とも、名字ともつかずのびて来た称へである。
われ/\の国の宗教の歴史を辿つて、溯(ノボ)りつめた極点は、物言はぬ神の時代である。
おにと神と「おに」と言ふ語にも、昔から諸説があつて、今は外来語だとするのが最勢力があるが、おには正確に「鬼」でなければならないと言ふ用語例はないのだから、わたしは外来語ではないと思うてゐる。
あまり世の中が変り過ぎて、ため息一つついたことのなかつた我々も、時々ほうとすることがある。
奥州から出羽へかけての旅、時もちやうど田植ゑに近くて、馬鍬や、※(エブリ)を使ふ人々が、毎日午前中に乗つてゐた汽車の窓の眺めでした。
私の演題には、二つの説明して置かなければならぬことがあります。
山の※※(スガル)[#「虫+羸」、166-1]の巣より出で入道の上立ちどまりつつるひそかなりけり前に来たのは、ことしの五月廿日、板谷を越えて米沢へ出ると、町は桜の花盛りであった。
日本の神道に、最重大な意味をもつてゐる呪法の鎮魂法が芸能化した第一歩が神楽だと思ひますから、どうしても、日本の芸能史に於ては此を第一に挙げるべきでせう。
私は日本の民俗の上からお話を申し上げたいと思つてゐます。
延喜式の祝詞を、世間では、非常に古いものだと考へて居る。
こゝに一例をとつて、われ/\の国の、村の生活・家の生活のつきとめられる限りの古い形の幾分の俤を描くと共に、日本文学発生の姿をとり出して見たいと思ふ。
万葉集に現れた古代信仰といふ題ですが、問題が広過ぎて、とりとめもない話になりさうです。
日本の辞書のできてくる道筋について考えてみる。
大体の感想は、日本青年館での合評会で申し述べたから、其機関雑誌「青年」に載る事と思ふ。
言語の用語例の推移の問題は、今よりももつと盛んに研究せられてよいことゝ思ふ。
この二つの接近した年中行事については、書かねばならぬ事の多すぎる感がある。
古代の文章の特徴と云ふと、誰しも対句・畳句・枕詞・譬喩などを挙げる。
田遊び・田※ひ・田楽日本には、田に関する演芸が、略三種類ある。
餓鬼世の中は推し移つて、小栗とも、照手とも、耳にすることがなくなつた。
昭和二十年の夏のことでした。
○くびだけ今は方言と言はれぬ語であるが、くびだけは首ばかりが水面に出てゐる様子で、沈湎・惑溺の甚しい事を言ふのだ、と思うてゐた処、大阪天満女夫池に、妻を追うて入つた夫の歌と言ふのに「水洩らぬ契りの末は首たけに思ひしづみし女夫池かな」極めて要領を得ぬ物であるが、首長とは着長に対した語で、頭をもこめた長の義であらう、と思ひあたつた。
紀といふことばの意義今後、機会のある毎に、釈いて行つて見たいと思ふ、日本書紀と言ふ書物に絡んだ、いろんな疑念の中、第一にほぐしてかゝらねばならぬのは、名義とその用法とである。
日本文學が、出發點からして既に、今ある儘の本質と目的とを持つて居たと考へるのは、單純な空想である。
所謂民間伝承といふ言葉を、初めて公に使はれたのは、たしか松村武雄さんであつたと思ふ。
もおずしやうじん泉北郡百舌鳥村大字百舌鳥では、色々よそ村と違つた風習を伝へてゐた。
歌舞妓にからんだ問題は、これをまじめにあつかふと、人が笑ふくらゐになつてゐる。
へるまあの喜劇「人形の家」久しぶりで又、「人形の家」が、町の話題に上つてゐる。
源氏物語は、一口に言えば、光源氏を主人公として書かれた物語である。
おん祭りの今と昔と春日のおん祭りに関しては、一番参考になるのは「嘉慶元年春日臨時祭記」のやうです。
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