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折口信夫の全作品

青空文庫で公開されている折口信夫の全作品202篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全202件
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彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。
最初には、演題を「民俗学より見たる大嘗祭」として見たが、其では、大嘗祭が軽い意義になりはせぬか、と心配して、其で「大嘗祭の本義」とした。
万葉びと――琉球人古代の歴史は、事実の記憶から編み出されたものではない。
稀に来る人と言ふ意義から、珍客をまれびと[#「まれびと」は罫囲み]と言ひ、其屈折がまらひと[#「まらひと」は罫囲み]・まらうど[#「まらうど」は罫囲み]となると言ふ風に考へて居るのが、従来の語原説である。
身毒丸の父親は、住吉から出た田楽師であつた。
万葉詞章と踏歌章曲と万葉集の名は、平安朝の初め頃に固定したものと見てよいと思ふ。
わたしはこゝで、駁論を書くのが、本意ではありません。
道祖神の話は、どうしても石の信仰の解決をつけておかぬと、その本当の姿はわからぬ。
私はふた夏、壱岐の国へ渡つた。
奈良の宮の御代万葉集一部の、大体出来上つたのは何時か。
ごろつきの意味無頼漢などゝいへば、社会の瘤のやうなものとしか考へて居られぬ。
明治以後、暦法の変化によって年中行事の日取りが変ったものと、変らないものとがある。
戦災死と言ふ語は、侘しい語である。
曙覧は文化九年、福井市内屈指の紙商、井手正玄の長男として生れたが、父祖の余沢に浴することをせず、豊かな家産と名跡、家業を悉く異母弟に譲つて、郷里を離れた山里や町はづれに、さゝやかな藁家を構へ、学究歌道に専念した。
まづ万葉集の歌が如何にしてあらはれて来たか、更に日本の歌がどういふ処から生れて来たか、といふこと即、万葉集に到る日本の歌の文学史を述べ、万葉集の書物の歴史を述べたいと思ふ。
晩年の作物天皇[#「天皇」の左に「オホキミ(?)」のルビ]は神にしますぞ。
神楽と言ふ名は、近代では、神事に関した音楽舞踊の類を、漠然とさす語のやうに考へてゐる。
播州姫路といへば、沢村一家と因縁のありさうな土地である。
ことしの盂蘭盆には、思ひがけなく、ぎり/\と言ふところで、菊五郎が新仏となつた。
今日の演題に定めた「神道に現れた民族論理」と云ふ題は、不熟でもあり、亦、抽象的で、私の言はうとする内容を尽してゐないかも知れぬが、私としては、神道の根本に於て、如何なる特異な物の考へ方をしてるかを、検討して見たいと思ふのである。
記紀の死語・万葉の古語を復活させて、其に新なる生命を託しようとする、我々の努力を目して、骨董趣味・憬古癖とよりほかに考へることの出来ない人が、まだ/\随分とあるやうである。
われ/\の祖たちが、まだ、青雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。
まだあの時のひそかな感動は、消されないでゐます。
早川(孝太郎)さんが遠慮をして居りますから私が代つて御話申し上げます。
あゝ言ふ時代別けは、実はおもしろく思はぬのだが、一往は、世間に従うておいてよい。
人形は古くは雛と言つた。
極楽の東門に向ふ難波の西の海入り日の影も舞ふとかや渡来文化が、渡来当時の姿をさながら持ち伝えていると思われながら、いつか内容は、我が国生得のものと入りかわっている。
現代かなづかひがきまつたのはともかくめでたいことと思ふ。
今から二十年も前、特に青年らしい感傷に耽りがちであつた当時、私の通つて居た学校が、靖国神社の近くにあつた。
完全な比較研究が、姑(しばら)く望まれない。
呪言から寿詞へ呪言の神たゞ今、文学の信仰起原説を最頑なに把つて居るのは、恐らくは私であらう。
柳田国男先生が「さうやさかいに」を論ぜられて後、相当の年月が立つた。
私は、日本文学の発生について、既に屡※(しばしば)書いて居る。
われ/\は常につくろふとかたゝかふとかいふ所謂延言の一種を使うて居つて何の疑をもおこさぬ。
はしがき袋中大徳以来の慣用によつて、琉球神道の名で、話を進めて行かうと思ふ。
異人の齎した文学(一)河内里(土中下。
国語と民俗学私の題は非常に面白さうな題目ですが、私にはまだこの話を完全に申上げる事が出来ません。
音羽屋六代の主尾上菊五郎歿す。
堀辰雄氏の創作集が七冊本になつて、叢刊せられる。
私の知つた文學者には、豫言者だちの人と、饒舌家型の人とがあつて、著しい相違を見せてゐる。
此字は、室町の頃から見え出したと思ふが、語がずつと大昔からあつたことは、記紀の註釈書の全部が、挙つて可決した処である。
沖縄の舞踊は、全体に、今常識的に、まひと称してゐるものと、をどりと称してゐるものとを兼ね備へてゐる。
日本は、美しく清らかな郷土芸能の国である。
私どもの様に大阪の町の中に育つた者にとつては、江戸長唄は生れだちから縁が少かつた。
私などは、上方興行に出る「いろは仮名四谷怪談」風な演出になじんで来たのだから、多少所謂「東海道四谷怪談」では、気持ちのあはぬ所を感じる。
渡嘉敷守良君が戦争中を無事でゐたことは、何にしても、琉球芸能にとつて幸であつたと思ふ。
大谷友右衛門は、松本幸四郎と共に、立役らしい本当の姿を持つた人だと思ひます。
日本の大貴族であつた人が、東京劇場の先代萩政岡忠義の段を見てをられた。
久しく絶えてゐた薪能が復活して、こゝに再、恒例の行事となつたのは、近年のことである。
まじなひ殊に、民間療法と言はれてゐるものゝ中には、一種讐討ち療法とでも、命くべきものがある様である。
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