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60分以内で読める青空文庫の中編作品(41ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「60分以内」の中編2,316作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(12,001〜24,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
2001〜2050件 / 全2,316件
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さびれ切つた山がかりの宿のはづれ、乗合自動車発着所附近。
これは自分が喋って速記をとったものです。
石塚貞吉が兵隊から帰ってきたころは、日本はまったく変っていた。
褌(ふんどし)一つきりの裸体の漁夫が、井端で、大漁の鯵(あじ)を干物に割いていた。
火のついた踵宮本百合子人物奥平振一郎統計学者(三十歳)みさ子振一郎の妻(十八歳)橋詰英みさ子の従兄(二十四歳)谷三郎英一、みさ子の友人(同)吉沢朝子(登場せず)みさ子の友達(十九歳)女中きよ場所東京。
人物青木健作富豪久子青木夫人芦田義資警視庁探偵牧芦田の腹心の警部補東山亜細亜新聞社会部長書生正木夫人島村夫人塩田夫人ある富豪文枝ある富豪の娘、東山の許嫁女中園遊会の客男女多勢、警官多勢第一幕第一場成金実業家青木邸の主人の居間、室内の家具、装飾等卑俗なくらいにけばけばしい洋室である。
昨年の旅はまた今年の旅を誘った。
常は無駄口の尠い唐沢周得氏が、どうしたはずみか、この数日来妙に浮きたって、食事の間も駄洒落をとばしたりしては家人を笑わせたりする。
私のことを気違いだと思わなくてもいいだろう、エリオット――もっとおかしな偏見を持ってる人たちだって五万といるんだ。
プロローグ私は京極光子と申します年は十七年三カ月学問は中学を卒業しただけで病気のために寝たきりで自分一人では一メートルも動けない詩を読んだのは宮沢賢治とホーマアのオデッセィの二冊だけですその私が、おどろくなかれ水仙と木魚という題で長い長い詩を書きますからどうぞ皆さん覚悟してくださいなこの中で私は人類よ、思いあがって水爆や原爆なんぞをポカポカとおっことして地球をこ...
少しいたずら過ぎたかな?だが、まあいいや。
賜氷の節「これ、押すな、押すな。
大震災から三年過ぎた年の話である。
昨日は印度人の行に就てお話し致しましたが、印度人は苦行を以て宗教上大切な勤と看做したのであります、後世では他の宗教に於ても是を尚ぶに至りましたが、印度が一番古い、而して他の宗教に於ける苦行の事は皆印度が元になつて傳はつて來たものと考へられる、印度に於ては昨日もお話し致しました通り如何なる宗派のものと雖も皆苦行をやる、中には隨分非常な方法を以て苦行をなすのであります、何故に苦行を以て宗教上の大切なことと爲すに至つたかと申すことは、昨日もお話申した如く印度バラモンは其人生を四段に分けまして、先...
鳥羽伏見の戦で、讃岐高松藩は、もろくも朝敵の汚名を取ってしまった。
「また今度も都合で少し遅くなるかも知れないよ。
諸君はすでに、わたしが去年の夏の大部分をX市に過ごしたことを御承知であろう――と、テオドルは話した。
「電灯を点けて煙草を喫かす、喫ひ終ると再び灯りを消してスツポリと夜着を頭から引き被る――真暗だ。
深川の材木問屋春木屋の主人治兵衛が、死んだ女房の追善に、檀那寺なる谷中の清養寺の本堂を修理し、その費用三千両を釣台に載せて、木場から谷中まで送ることになりました。
人物朋子譲恒子家政婦時六月の午後所洋風の客間を兼ねた書斎[#改ページ]朋子が割烹着を脱ぎながら、慌ただしくはひつて来る。
或るコンクリー建築の四階の室。
むかしの正本風に書くと、本舞台一面の平ぶたい、正面に朱塗りの仁王門、門のなかに観音境内の遠見、よきところに銀杏の立木、すべて浅草公園仲見世の体よろしく、六区の観世物の鳴物にて幕あく。
前書女人芸術の編輯部から一つのたのみをうけた。
或る図書館員の話掘割の橋のたもとで、いつも自動車を乗り捨てた。
一九三〇年のソヴェート舞台芸術に於ける特徴一、まわり舞台の一般的利用、М・Х・А・Тの「復活」、全然日本のかえし。
人物押川進三十妻なる子二十四持山六郎三十二妻なぞえ二十五陽々軒女将三十五摺沢六十紙屋二十五印刷屋十八製本屋四十五彦十六場所東京の裏街の二階家。
深大な犠牲をはらって西欧におけるファシズムを粉砕したソヴェト同盟では、平和が克復するとすぐ、物質と精神の全面に精力的な再建がはじまった模様である。
松濤明単独昭和十五年三月二十三日晴伊那八幡―越久保―汗馬沢(泊)二十四日晴汗馬沢―小川路峠越―下栗―小野(泊)二十五日晴小野―易老渡―白薙窪―面平(ビバーク)二十六日風雪面平―易老岳(ビバーク)二十七日晴易老岳―光岳とのコル―引返し易老岳―仁田岳(ビバーク)二十八日晴仁田岳―上河内岳―聖岳(ビバーク)二十九日晴聖岳―兎岳―大沢岳―赤石岳―荒川小屋(ビバーク)...
「火の玉」少尉「うーん、またやって来たか」と、田毎大尉は、啣(くわ)えていた紙巻煙草をぽんと灰皿の中になげこむと、当惑顔で名刺の表をみつめた。
私はその日はじめて妻をつれて亡き母の墓まいりに往った。
青みどろを溜めた大硝子箱の澱んだ水が、鉛色に曇つて来た。
ある年の正月下旬である。
今日の世の中ほど人間のすることが互いに矛盾した時代はかつてあったであろうか。
伊藤喜兵衛は孫娘のお梅を伴れて、浅草観音の額堂の傍を歩いていた。
二日も降り続いて居た雨が漸う止んで、時候の暑さが又ソロソロと這い出して来た様な日である。
倫理的な問いの先行何が真であるかいつわりであるかの意識、何が美しいか、醜いかの感覚の鈍感な者があったら誰しも低級な人間と評するだろう。
「ある夫人――それは私の旧友なのですが――からこうした手紙を度々受取らなかったら、恐らくこの事件には携らなかったろうと思います」S夫人は一束の手紙の中から一つを抜き出して渡してくれた。
日本橋附近は変ってしまったものだ。
――今回はいよいよ第七番てがらです。
私は今でもあの夜の光景を思い出すとゾットする。
この病院に入院してから三ヶ月程過ぎたある日、宇津は、この病院が実験用に飼育してゐる動物達の番人になつてはくれまいかと頼まれた。
二月の中旬、圭一郎と千登世とは、それは思ひもそめぬ些細な突發的な出來事から、間借してゐる森川町新坂上の煎餅屋の二階を、どうしても見棄てねばならぬ羽目に陷つた。
私のお話致しますのは、「近畿地方に於ける神社」と申します。
所長の発表が終ると、文字通り急霰のような拍手がまき起った。
「幽霊の観世物」の話が終ると、半七老人は更にこんな話を始めた。
沢山な落葉が浮んでゐる泉水の傍で樽野は、籐椅子に凭つて日向ぼつこをしてゐた。
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