ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 中編(60分以内)

60分以内で読める青空文庫の中編作品(7ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「60分以内」の中編2,316作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(12,001〜24,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
301〜350件 / 全2,316件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
小これは予が嘗(かつ)て三田文学誌上に掲載した「奉教人の死」と同じく、予が所蔵の切支丹版「れげんだ・おうれあ」の一章に、多少の潤色を加へたものである。
ひと目惚れは日本では西洋ほどありふれたものではない。
汝、その肉体を離れ、自由なる天空に入りし時、不死なる永遠の神とならん――もはや死といえども、汝を支配すること忽らん――ギリシア古詩歌市街地の通りには白い軍服姿とラッパの響き、それに野戦砲の重々しい軋みがあふれていた。
「親分、このお二人に訊いて下さい」いけぞんざいなガラッ八の八五郎が、精いっぱい丁寧に案内して来たのは、武家風の女が二人。
六疊の間に、床を三つ並べて取つて、七つになる娘を眞中に寢かして、夫婦が寢てゐる。
忌明けになって姑(はは)の心もようよう定まり、清子と二人は良人の遺骨をもって、いよいよ郷里の秋田へ引き上げることになった。
運命の電話古傷を抉られる――という言葉がある。
「親分、退屈だね」「…………」「目の覚めるような威勢のいい仕事はねえものかなア。
れいの戦災をこうむり、自分ひとりなら、またべつだが、五歳と二歳の子供をかかえているので窮し、とうとう津軽の生家にもぐり込んで、親子四人、居候という身分になった。
鶏林八道蹂躙之事対馬の宗義智が、いやがる朝鮮の使者を無理に勧説して連れて来たのは天正十八年七月である。
私の父は私の十八の年(丁度東京の大地震の秋であつたが)に死んだのだから父と子との交渉が相当あつてもよい筈なのだが、何もない。
「鰍(かじか)やあ、鰍を買いなさらんか、鰍やあ」うしろからそう呼んで来るのを聞いてお高はたちどまった。
一九二八年(昭和三)の十二月二十九日、三発のフォッカー機で、西経百五十度の線を南極の極点に向って飛んでいるとき、南緯八十度附近の大氷原の上で、見せかけの花むらのような世にも鮮かな焔色したものがバード大佐の視覚をかすめた。
母のすがたを見ると、甚助の眼はひとりでに熱くなった。
本田昌平は、ものごとをがまんすることにかけては、自信があった。
屍体投棄から屍体保存へ我国で古く屍体を始末することはハフル(葬)と云うていたが、この語には、二つの意味が含まれていた。
本編は去る七月十一、十二の両日にわたって、仙台放送局の需めに応じて放送したところであります。
「キキキ……ケエケエケエ……キキキキッ」形容の出来ない奇妙な声が、突然に聞こえて来たので、座敷中皆シンとなった。
突然、すこしおそろしい音がした。
ぴかり!剣光!ワッという悲鳴!少し[#「少し」は底本では「少し」]間を置いてパチンと鍔音。
問う者が、(世の中に何がいちばん多いか)と訊いたところ、答える者が、(それは人間でしょう)と、云った。
※古い田舎の邸の撞球室で、二人の男が立ち話をしていた。
問題の「諜報中継局Z85号」が、いかなる国家に属しているのか、それは今のところ詳かでない。
何公爵の旧領地とばかり、詳細い事は言われない、侯伯子男の新華族を沢山出しただけに、同じく維新の風雲に会しながらも妙な機から雲梯をすべり落ちて、遂には男爵どころか県知事の椅子一にも有つき得ず、空しく故郷に引込んで老朽ちんとする人物も少くはない、こういう人物に限ぎって変物である、頑固である、片意地である、尊大である、富岡先生もその一人たるを失なわない。
全十二巻の厖大な艶笑自叙伝「回想録」M※moires を書くことに生涯を費した色情的好事家ジォウァンニ・ヤコポ・カサノヴァと霊媒術をもってルイ十六世の宮廷で華々しい成功をし、「マリイ・アントアネットの首飾事件」に連坐してバスチーユに繋がれ、後、ローマで獄死した天才詐欺師バルサモ・ディオ・カリオストロ伯爵とルイ・シャルル・ド・カストリ侯爵の三人をある小史作者は十八世紀末から十九世紀中頃までの三大変種といっている。
私は昨今、本県の社会で問題となっているユタについて御話をしてみたいと思います。
朝の薄ら陽があかあかと箱根街道を照らしていた。
われは病いをも死をも見る事を好まず、われより遠けよ。
プロローグ奇談クラブの席上、その晩の話し手天野久左衛門は、こんな調子で始めました。
玻璃盤の胎児生れないのに死んでしまつた玻璃盤の胎児は酒精のとばりの中に昼もなほ昏々と睡る昼もなほ昏々と睡るやるせない胎児の睡眠は酒精の銀の夢にどんよりと曇る亜剌比亜数字の3だ生れないのに死んでしまつた胎児よお前の瞑想は今日もなほ玻璃を破らず青白い花の形に咲いてゐる[#改ページ]祖母祖母は蛍をかきあつめて桃の実のやうに合せた掌の中から...
深尾好三はゆたかに陽のさしこむ広縁の籐椅子の中で背を立てた。
私は七、八年前より妖怪のことを研究しておりまして、今日のところでは、いまだ十分に研究し尽くしたわけではありませんがその研究中であって、いろいろその事実を収集しております。
十九の海騒『はてな。
その年の二百十日はたしか涼しい月夜であった。
浅黄色の色硝子を張ったような空の色だった。
浅草の馬道を吉原土堤のほうへいって、つきあたる二丁ばかり手前の右に、山の宿へと続く狭い横丁があった。
この問題を考えるには、まず応仁の乱(一四六七―一四七七)あたりから始めるべきだと思うが、この乱の時のヨーロッパを考えると、レオナルド・ダ・ヴィンチは二十歳前後の青年であったし、エラスムス、マキアヴェリ、ミケランジェロなどはようやくこの乱の間に生まれたのであるし、ルターはまだ生まれていなかった。
その物音は初め広縁のあたりから聞えた。
「ならず者どものトップ自身の脳の中身をスパイして……この装置が奴のアタマの働きを停止させ机の前に座ったままクルクルパーの状態にできるとしたら、素晴らしくはないかね?」かの金色の姿は金の階段の上で、あたかも狂える鳥の如く震え、舞い――あたかも知性と魂を吹き込まれた一羽の鳥のように、されど人智の及ばぬ興奮と恐怖に駆り立てられたかのように。
これからする話を小説に書いてくれないかね、と玉本寿太郎がいった。
[#ページの左右中央]北極厳冬に襲われたロンドン物語――危機状況、冬の道連れは、飢饉、寒冷、火災[#改ページ]デイリーチャット紙の編集部長がいぶかった。
二人の昼鳶「あッ、泥棒ッ」井上半十郎正景は、押っ取刀で飛出しました。
(前略)それだから今日すなわち四月九日の晩をまる潰しにして何か御報知をしようと思う。
お部屋様くずれ今夜も又、この顔合せでは、例によって、夜明かしとなること間違い無しである。
第八章「もう半蔵も王滝から帰りそうなものだぞ。
春、K温泉から山路をのぼること一哩(り)、はるか眼の下に渓流をのぞむ断崖の上、自然石のベンチに肩をならべて男女が語りあっていた。
その前の晩、田住生が訪ねて来た。
まあ!この碧(あお)い海水の中へ浸ったら体も、碧く解けてしまやあしないだろうか――お雪は、ぞっとするほど碧く澄んだ天地の中に、呆(ぼん)やりとしてしまった。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。