ブンゴウサーチ
児童書版
青空文庫の作品を読了時間で検索できるサービス

青空文庫の全作品(310ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の全作品15,835篇を、おすすめ人気順で表示しています。

15451〜15500件 / 全15,835件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
鶏小舎4・15東京日日(夕)大阪のある大きな会社で、重役の一人が労働問題の参考資料にと思つて、その会社の使用人に言ひつけて、めい/\の家の生活向きを正直に書き出させたことがあつた。
人は自分で自分をどうすることもできないことがあります。
一月五日(月曜)山岡にかえって来る。
私は遂に秀子を殴りつけた。
小熊秀雄全集-6詩集(5)飛ぶ橇小熊秀雄※収録した作品のいくつかには「伏せ字」が含まれています。
所感何時までも生きて仕事にいそしまんまた生まれ来ぬこの世なりせばわれらの大先輩に本草学、植物学に精進せられた博物学者の錦※(きんか)翁伊藤圭介先生があった。
一月一日今年は好い正月な筈だ――と云うと少し可笑しいが、三十一日までは、何となしにぎやかで、快い正月になりそうな心持がして居た。
小生も本年数え年五十になった、少年時代には四十五十といえばもうとてもおじいさんのように思われたが、自分が経来って見るとその時分の子供心と大した変らない、ちっとも年をとった気にはなれない、故人の詩などを見ると四十五十になってそろそろ悲観しかけた調子が随分現われて来るけれども、余はちっとも自分では老いたりという気がしないのみならず、それからそれへと仕事が出て来てどうしてどうしてこれからが本当の仕事ではないか、と、思われる事ばかりだ、瘠我慢にいうのではない、自分は五十になって老いたりという気が...
私の生ひ立ち與謝野晶子私の生ひ立ち学校へ行く私が、黒繻子(くろじゆす)の襟(えり)の懸つた、茶色地に白の筋違(すぢか)ひ雨(あめ)と紅(べに)の蔦の模様のある絹縮(きぬちゞみ)の袢纏(はんてん)を着初めましたのは、八歳(やつつ)位のことのやうに思つて居ます。
明治三十七年青壺集(二)郷にかへる歌并短歌草枕旅のけにして、こがらしのはやも吹ければ、おもゝちを返り見はすと、たましきの京を出でゝ、天さかる夷の長路を、ひた行けど夕かたまけて、うす衾寒くながるゝ、鬼怒川に我行き立てば、なみ立てる桑のしげふは、岸のへになべても散りぬ、鮭捕りの舟のともしは、みなかみに乏しく照りぬ、たち喚ばひあまたもしつゝ、しばらくにわたりは超えて、麥おほす野の邊をくれば、皀莢(さいかち)のさやかにてれる、よひ月の明り...
隣の家から嫁の荷物が運び返されて三日目だ。
さいしょのお話鏡と、鏡のかけらのことさあ、いいですか、お話をはじめますよ。
僕はおとうさんが好きです。
淋しい風が吹いて來て、一本圖拔(づぬ)けて背の高い冠のやうな檜葉の突先がひよろ/\と風に搖られた。
自本書の中に、「“虫喰ひ算”大會」の會場が、第一會場から始まつて第三十會場まである。
母上さま、――久しくためらつてゐましたこの御報告の筆を、千恵はやうやく取りあげます。
「おいおいマリア、どうしたものだ。
宋赤絵壺在銘高サ七寸六分胴廻五寸七分口径二寸九分この壺の銘には「太平十年五月十六日造」とある。
橋の上も、河添ひの道も、群集が犇めきあつてゐる。
表二階の次の六畳、階子段の上り口、余り高くない天井で、電燈を捻ってフッと消すと……居合わす十二三人が、皆影法師。
小田原から静岡へ去つて、そこで雛妓のお光とたつた二人だけで小さな芸妓屋を始めたといふ話のお蝶を訪ねよう――さう思ふことゝ、米国ボストンのFに、最近の自分の消息を知らせなければならないこと――。
二人の男の写真は仏壇の中から発見されたのである。
この奇怪極まる探偵事件に、主人公を勤める「赤外線男」なるものは、一体全体何者であるか?それはまたどうした風変りの人間なのであるか?恐らくこの世に於(おい)て、いまだ曾(かつ)て認識されたことのなかった「赤外線男」という不思議な存在――それを説明する前に筆者は是非とも、ついこのあいだ東都に起って、もう既に市民の記憶から消えようとしている一迷宮事件について述べなければならない。
人間お秋(26)その弟(16)沢子(22)秦(中年の仲仕)阪井(片腕の仲仕)初子(24)町田(25)杉山(36)女将客達仲仕達場或る港の酒場沢子の室六畳。
一月末から一ヶ月半ほど、私は東京に出てゐた。
「浜、雪は積ったか」炬燵(こたつ)に仮睡していた机竜之助は、ふと眼をあいてだるそうな声。
つれの夫人がちょっと道寄りをしたので、銑太郎は、取附きに山門の峨々(がが)と聳(そび)えた。
連句の独自性日本アジア協会学報第二集第三巻にエー・ネヴィル・ホワイマント氏の「日本語および国民の南洋起原説」という論文が出ている。
……聖書に曰(いわ)く「もし汝(なんじ)の右の眼、なんじを罪に陥さば、抉(えぐ)り出してこれを棄てよ……もし右の手、なんじを罪に陥さばこれを断り棄てよ。
第一話海底の美しい景観のなかに、若い海女が一人、自由奔放な姿で現れる。
兎に角、母が一人で行ってくれたのが、彼には嬉しかった。
はじめ、私はこの一篇を、山媛、また山姫、いずれかにしようと思った。
寒山落木卷正岡子規寒山落木明治十八年ヨリ同二十五年マデ第一期明治十八年夏郷里松山ニ歸ル○嚴嶋ニ遊ビ祭禮ヲ觀ル○九月上京仝十九年夏久松定靖公ニ扈從シテ日光伊香保ニ行ク○九月歸京仝廿年春腸胃ヲ病ム上野ヲ散歩ス○夏歸省○九月上京仝廿一年夏牛嶋月香樓ニ居ル○九月歸京常盤會寄宿舍ニ入ル仝廿二年四月水戸ニ遊ブ徃復一週間○五月咯血七月歸省九月上京不忍池畔ニ居ル後再ビ常盤會寄...
四月末の午後二時頃のこと、電車通りから二三町奥にはいった狭い横町の、二階と階下と同じような畳数がありそうな窮屈らしい家の前に、角帽を被った一人の学生が立止って、小林寓としてある古ぼけた表札を暫く眺めていたが、いきなりその格子戸に手をかけて、がらりと引開けるなり中にはいった。
朝から、おぼつかない日差しがドンヨリ障子にまどろんで居る様な日である。
本日は、弘法大師の御降誕に際しまして、眞言宗各派の管長の方々、並に耆宿碩學の賁臨を忝うし、又滿堂の諸君の來集の中に於て、此の演壇に立ち、宗祖大師の時代につきまして、一塲の卑見を※ぶることを得まするは、私にとりまして、光榮至極のことゝ存じます、演題は、茲に掲げました通り「大師の時代」と云ふのであります、從來、宗祖大師の降誕會を擧行せらるゝ度毎に、緇素の諸名流方が、此の演壇の上に現れまして、或は大師の文章につき、或は才學につき、或は建立せられた教義につき、或は功業遺徳につき、演述せられたものは...
水源地の記文ここに利根川水源地というのは、大略西は宝川笠ヶ岳の支脈と、東は武尊山の支脈とに依りて限られた利根川上流の地域を指したものである。
過去への瞥見今日の日本文学のありようは、極めて複雑である。
鴨青々した草原と葦の生えた沼をしたって男鴨は思わず玉子色の足をつまだてて羽ばたきをした。
前置(著者の)「あア/\斯(こ)うも警察のお手が能く行届き、何うしても逃れぬ事が出来ぬと知たら、決して悪事は働かぬ所だッたのに」とは或(ある)罪人が己れの悪事露見して判事の前に引据られし時の懺悔の言葉なりとかや、余は此(この)言葉を聞き此記録を書綴る心を起しぬ、此記録を読むものは何人も悪事を働きては間職に合わぬことを覚り、算盤珠に掛けても正直に暮すほど利益な事は無きを知らん、殊に今日は鉄道も有り電信も有る世界にて警察の力を潜り果せるとは到底出来ざる所にして、晩かれ早かれ露見して...
人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい拳を振り上げて争う様子をみせることがある。
「今のは、」初阪ものの赤毛布、という処を、十月の半ば過ぎ、小春凪で、ちと逆上せるほどな暖かさに、下着さえ襲ねて重し、野暮な縞(しま)も隠されず、頬被りがわりの鳥打帽で、朝から見物に出掛けた……この初阪とは、伝え聞く、富士、浅間、大山、筑波、はじめて、出立つを初山と称うるに傚(なら)って、大阪の地へ初見参という意味である。
秘密の上にも秘密にやった事だったが、新聞記者にかゝっちゃ敵わない、すぐ嗅ぎつけられて終った。
第一章王の花嫁アストリア大使主催の園遊会が開かれ、ほとんどの招待客が居残っていた。
私の子供が初めて小學校へ通ふやうに成つた其翌日から、私は斯の手紙を書き始めます。
わたくしは澀江抽齋の事蹟を書いた時、抽齋の父定所の友で、抽齋に劇神仙の號を讓つた壽阿彌陀佛(じゆあみだぶつ)の事に言ひ及んだ。
一助はお加久に叩き起されてシブシブ目をさました。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。